病弱であった藩主広嘉公は、病気療養の際、明の帰化僧で医師でもある『独立(どくりゅう)』と出会い、治療を受けます。 明文化に関心のあった広嘉公は、『独立』の所持する『西湖遊覧誌』という書物に興味を抱き、これを拝見する機会を得ました。 〔そこには湖に点在する島伝いに石橋が架かる挿図があった。〕 『これだ!』 一つの妙案が閃く。 構想は決まった。錦川に小島の様な橋台を造り、そこに頑丈なアーチ型の橋を架ける。試作と失敗を重ねた末、延宝元年(1673)築城技術と組木の技法を最大限に生かした希代の名橋が完成したのでした。
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明の帰化僧『独立』
独立との出会いが名橋創建の大きな転機となりました。 |